こんにちは、雪風です。
朝も涼しくなってきたので部屋着もタンクトップから半袖Tシャツに変更しました。
さて、今回は「九州一周ツーリング」の5日目となります(4日目はこちら)。
桜島からフェリー乗船

・5日目の朝は6時前に起床。宿の窓から鹿児島湾の方を眺めてみましたが、今日も天気は良さそうです。開聞岳(かいもんだけ)もクッキリと見えます。

・出発準備を終え7時半頃に宿を後にしました。郷がえるは管理人の方が常駐していないのですが、「出発時は携帯にワンギリだけして下さい」との事でした。
ここから本来の予定ですと、宿のすぐ近くにある根占(ねじめ)港からフェリーなんきゅうで鹿児島湾を横断し、薩摩半島の南端辺りにある山川港に向かう予定でした。
が、フェリーなんきゅうは出港時間が朝イチでも9時と遅いのと、ちょっとした波でもすぐにバイクは乗船拒否されてしまうらしいとの口コミが有りました(実際、先日はバイク乗船不可とのお達しが公式ページに出てました)。
また、ルート的に桜島方面に向かい辛くなってしまうのもあって、「だったら最初から桜島方面から回ればいいじゃん」って事で予定を変更し、桜島からフェリーに乗ってみる事にしました。

・南大隅町から海沿いに北上し桜島方向へ。桜島南側のルートから桜島港まで向かいました。

・フェリー乗船前に目の前にある「道の駅桜島 火の島めぐみ館」で時間調整。ちなみに物産館は9時開店でした。

・9時25分の便に乗船しました。桜島フェリーは昼間は20分置きに出港していて桜島と鹿児島港をひたすらピストンしています。運賃は大人250円+750cc以上バイク640円の合計890円でした。

・こんなサイクルで回してるって事は普段からとても需要の多い路線なんでしょうね。

・出港。さらば大隅半島。

・で、あっという間に鹿児島港が見えてきました。15分くらいの航海ですが、桜島を迂回して陸路で行こうとすると1時間以上掛かってしまいますのでかなり便利な航路である事が分かりました。

薩摩半島上陸、開聞岳へ

・鹿児島港に到着後、すぐ近くにある「マリンポートかごしま」の隅っこから桜島をバックに一枚。桜島はこれくらい離れた所から眺めたほうが全貌がハッキリとして良いんじゃないかなとも思いました。

・マリンポートかごしまは行くまでは海沿いの駐車スペースくらいにしか認識していなかったんですが、実際に見てみると散歩道や芝生、水遊び出来るスペースがあったりと家族連れで遊びに来たりするのにも良さそうなスポットでした。

・マリンポートかごしまを後にし、薩摩半島を南下していきます。

・開聞岳の少し北側にある池田湖に立ち寄ってみました。

・池田湖越しに開聞岳がちょっと見えました。

・何となく訪れましたが池田湖は九州最大の湖らしいです。

・ついでにイッシーなるUMAもいるとかいないとか…?

・池田湖から開聞岳方面へ。

・昨日は本土最南端である佐多岬に行きましたが、本日も「もう一つの最南端」へと来てみました。

・JR日本最南端の駅である西大山駅へ来てみました。平日ですが観光客の方が沢山来ていました。バスツアーでここに来る事もある程の有名スポットらしいです。

・ホームからこのオブジェと共に開聞岳を撮影するのが定番ぽくて、軽く撮影の順番待ちみたいになってました。雲で頂上が隠れちゃってますが確かにエモい一枚ですね。

・ちなみに時刻表はこんな感じ。1時間に1本ってレベルじゃないですw
知覧特攻平和会館へ

・西大山駅からちょっと北へ向かって次の目的地へ。


・「知覧特攻平和会館」に到着しました。何だか分かりませんが駐車場が満車過ぎてよく分からんスペースに停める事に…。当日、この辺りはかなり天気が不安定で場所によって雨が降ったり止んだりを繰り返していました。

・戦時中、この場所には陸軍の知覧飛行場が有りました。第六航空軍司令官として特攻隊(振武隊)を指揮した菅原道大(すがわらみちおお)中将が戦後に様々な働きかけを行なった果てにこういった大変素晴らしい場所が出来上がりました。




・平日にも関わらず沢山の人が訪れていました。平和会館の入館料は大人500円になります。
※平和会館の中は基本的に撮影禁止となっています。撮影が可能なのはロビーと零戦の展示スペースのみでフラッシュ等も禁止されています。

・エンジントラブルで不時着し、戦後知覧で引き揚げられた零戦が展示されていました。


・35年も海に沈んでいたので機体もボロボロになってしまっています。機銃に関しては一度取り外して塗装し組み直したものも思われます(発射機構を外して弾薬を抜く必要もあったでしょうし)。



・機体後部は損失しています。


・引き揚げられた機体と共にあった備品等。

・結構綺麗に形が残っている物もありますね。
館内で撮影出来る場所は上記の零戦がメインでした。
後は展示物等をひたすら見て回りましたが、当時の資料や遺品、手紙等その数は膨大でここまで収集しまとめのはとても大変な作業であった事は想像に容易いです。
その中でも私が特に心を打たれたものが、特攻を目の前とした隊員たちの両親や家族に宛てた遺書と、母から息子たちへの手紙でした。
やはりと言いますか、特攻を目前に控えた隊員たちの士気は高く、遺書の文面からもその勇猛さがよく伝わってきました。しかし、そんな中でも兄弟や親戚の健康の心配をしていたりといった優しさも垣間見る事が出来ました。
それに対し、母からの手紙はどれも落ち着いた様子で内地の日常を伝えたり、息子の健康を心配していたりと、何処か双方の日常と非日常のすれ違いと言いましょうか、ある意味での温度差的なものが余計に心に沁みて、途中から首にかけたタオルで涙と鼻水を拭きながら見学を続けました…。

・館内の見学を終えて外に出ると雨もほぼ止み、空も大分明るくなってきていました。

・外には三角兵舎の展示が有りました。何だか見た目が網走監獄で見た「休泊所」にそっくりです。


・日本各地から集まった隊員たちがここで出撃前に壮行会を行ったりしたそうです。

・特攻平和観音堂。ここには法隆寺の夢違観音像(ゆめちがいかんのんぞう)にちなんだ「特攻知覧平和観音像」の4体のうち1体が安置されています。

・この観音像の胎内には菅原道大直筆の特攻戦没者の芳名を記した巻物が収められているそうです。この観音堂を設立するところから、戦後のこの地の歴史が始まったとも言えるかと思います。

・大刀洗(たちあらい)陸軍飛行学校の16箇所あった分教所の一つ、後の知覧教育隊の正門が設置されていました。戦後も旧知覧中学校の正門として使われていたってのが凄いですね。

・こちらは隼の原寸大レプリカになります。元々は映画用に作られた物で、もう一機が館内に展示されています(余談ですが、館内には唯一現存する実物の疾風も展示されています)。
長島へ
知覧特攻平和会館での見学を終え、時間は14時近く。
この先は本日の宿がある長島まで走るだけとなりました。

・「長島まで走るだけ」とは言いましたが、知覧から長島の阿久根辺りまでは100km以上あります。

・黒之瀬戸大橋を辺り長島に入ってすぐの「道の駅黒之瀬戸だんだん市場」に17時頃に到着しました。宿まで後少しですが、ここで小休止とちょっとした買い物をしました。

・時間もあるのかもしれませんが妙に空いてました。

・本日の宿まで道の駅から10分ほどの道のりです。

・本日の宿である「夕暮荘」に到着しました。こちらは食事も出来る民宿という感じになっております。本日も宿泊者は私だけとなります。

・こちらが部屋になります。一般的な和室って感じですね。当日は食事無しの素泊まりで4,950円の宿泊料となります。

・窓から海も見えます。

・たまたま位置取りが良かったのですが、窓を開けて目の前に停めたバイクから荷物の搬入が出来たので地味に助かりました。

・館内の廊下。部屋は廊下の左右に振り分けられている感じです。タバコの自販機の奥に受付があります。

・おつまみと飲み物(お酒)も売っています。

・ウォーターサーバーや電気ポット、電子レンジに冷蔵庫が自由に使えます。インスタントのお茶やコーヒーもセルフで利用出来ます。

・共用のトイレとお風呂があります。

・今回は利用していませんが洗濯機はお金を入れて使用するタイプっぽいです。脱衣所にバスタオルとフェイルタオル有り。やはり宿に風呂が有るのは助かります。

・先ほどの道の駅で購入したつけあげ(さつま揚げ)とてりマヨをつまみに晩酌です。本場のつけあげは関東で食べるそれよりも砂糖が多く甘い味付けでした。
6日目に続く。