こんにちは、雪風です。
10月から新たな職場に行くまで優雅な有休消化の日々を送る毎日です。
さて、「九州一周ツーリング」も後半戦の6日目となりました(5日目はこちら)。」
フェリーで天草へ

・6時前に起床。宿の外から東シナ海を望む。今日も良い天気っぽいですね。

・朝食は昨日道の駅で買っておいた巻き寿司と稲荷。数日前も同じ様な画像上げていたのは気のせいではないと思いますw

・早朝は宿の管理人の方は不在なので鍵だけ返却して出発となりました。まずは国道389号を北上し、蔵之元(くらのもと)のフェリー乗り場に向かいました。

・三和商船の蔵之元フェリー乗り場に到着。朝イチの7時40分の便でしたが利用者はそこそこ。後はフェリーで天草まで通学されている学生さんも何人かいました。

・運賃は大人540円+750cc以上1,200円で合計1,740円でした。
ezax.co.jp

・乗船完了。排水量577tの小さな船なので車両甲板も小さめですね。

・天草までは30分ほどの航海となります。


・出港して間もなく、牛深港が前方に見えてきました。
30分の航海を終えて天草の牛深(うしぶか)港に到着しました。
とりあえず、国道266号〜国道389号と走って最初の目的地である崎津(さきつ)集落を目指します。

・牛深港は天草のほぼ南端に位置しています。

・崎津集落に到着。観光駐車場が道沿いにあったのでそこに駐車。
天草と言えば潜伏キリシタン、潜伏キリシタンと言えば崎津集落という事でここはまず訪れたいなと思っておりました。
この辺りのお話をもの凄く端折ってお伝えすると、江戸時代から始まった禁教期(キリスト教の信仰と布教を禁止していた時期)に陸の孤島とも言えた崎津にキリスト教徒たちが隠れ住み、更には貝殻や仏像を聖具に見立てて表向きにはキリスト教徒とバレない様に過ごしていた…といった感じの生活が禁教令が説かれる明治6年まで続いていたそうです(その後はカトリックに復帰していった)。

・駐車場に崎津の景観に関する案内板がありました。

・駐車場の端っこにあったお地蔵さん。片方は首が無かったのですがこれは何かあったんでしょうか?

・集落は見た感じ昭和以降に建てられた建物が大半だと思われますが、中にはこういったそれ以前の歴史を残すものもあったりしました。

・漁業の発展や天草炭田の操業に伴い人の往来が増えた為、昔の崎津には旅館などが多かったそうです。

・これも昔の話ですが、潮待ち(潮が逆流した際などに方向が変わるの待ったりする事)の為の宿が栄えていた時があったそうです。

・ここがその宿の一つ、紋付屋の跡地です。今は広場として整備されています。

・海に面した位置に宿があったんですねえ。宿を利用する船が直で乗り付ける様を想像すると何となくロマンを感じます。

・ここに何艘も並んで着岸していたんでしょうか。

・集落で見かけるイカダの様なこれは「カケ」と行って、昔から漁師の作業場として使用されてきました。近代的な港が整備された今も利用されているそうです。


・集落の至る所に画像の様な「トウヤ」と呼ばれる小径があります。家と家の間を抜ける細い道ですが、ここを通り抜けた先には海があり、先ほどのカケが設置してある事が多かった様です。住居の様相が変わっても、こういった歴史的な風景が残っているのは何だか嬉しくも感じます。


・トウヤを見かけると、ついつい奥の方を覗き込んでしまいますw

・そして、崎津集落の中でも一際目立つのが「崎津教会」だと思います。昭和9年に建造されたのですが、この地はかつて潜伏キリシタンたちに絵踏を行った庄屋宅の跡地というのですから何とも因果を感じますね。ちなみに、拝観には予約が必要らしいので今回は外観だけ見学しました(教会内は撮影禁止)。

・この教会の面白いところは正面はコンクリート製なのですが、当時の予算の都合で後ろ半分は木造建築となっているところかと思います(2004年に改修工事を行い現在の白い部分は化粧合板)。また内装も畳敷きと珍しい様式になっています。

・港町あるあるなんでしょうか?至る所で地域猫がくつろいでいました。


・集落から漁協のある港の方まで歩いて行きます。

・海上マリア像があるそう。

・ここからだと残念がながら姿形はハッキリと確認出来ませんでした。海を征く人々を見守るマリア像というのが、正にこの地を象徴する全ての様な気がしました。

・こちらは漁協の建物ですが、何となく教会を思わせる造りに見えませんか?(2階の窓にステンドグラスっぽい模様がある様な?)

・崎津集落を堪能した後は10分くらいの距離にある「大江教会」へ向かいました。

・こちが大江教会になります。禁教令が解かれた後に最も早く建てられた教会となります(崎津教会の1年前である昭和8年)。こちらは自由に拝観出来ました。こちらも教会内は撮影禁止になっています。厳密には敷地内での撮影も禁止との御触れが観光協会のページに書いてありましたので注意しましょう。

・地元の信徒たちに「パアテルさん(神父の意)」と呼ばれて親しまれたガルニエ神父がこの地に教会を建てられたそうです。25歳でフランスから来日し、亡くなるまでの49年間、天草で布教を行い続けたというのは凄いですね。

・大江教会の見学を終えた後は海沿いに天草を北へ。天草と言えばもう一つ思い出されるのが「島原の乱」という事で「富岡城跡」へ向かいました。

・富岡城跡の二の丸の駐車場から更に坂を登った先にある二の丸第2駐車場に到着。富岡城跡をグルっと裏手に回り込んだ所なのでちょっと分かり辛いですが、ここに停めると歩く距離を短縮出来て便利です。

・順路的にもここから回るのが良さそうですね。
富岡城は島原の乱に際し一揆軍の猛攻を受けました。一揆軍の軍勢1万に対し城を守る唐津藩は3千ほどだったそうです。しかし、城の守りは硬く、遂には一揆軍を押し返し一揆軍は島原の原城へ撤退する事となりました。
動乱の後、富岡城は天領(幕府の直轄地)となり暫くは存続しますが、後に幕府の命で破壊されてしまいました(戸田の破城)。更にその後は跡地に代官所が置かれて明治時代まで天草の政治・経済の中心地となったそうです。

・という事で、今現在の富岡城跡の建造物は1994年から2005年にかけて復元されたものとなっています。

・石垣などは発掘された実物と新たに作ったものを組み合わせて組んでいるそう。海の中から発掘したものもあったとか。

・二の丸には富岡城は元より天草に強い繋がりがある二人の像がありました。
左・鈴木重成(すずきしげなり):島原の乱後の初代代官。農村整備、寺社復興、荒地開拓を行い住民の受け入れを促進させました。また、天草の石高が過大だったのが乱の一因であるとし、それの半減を幕府に進言しましたが受け入れられず自刃。後に半減は認められる事となりました。
右・鈴木正三(すずきしょうざん):重成の兄。関ヶ原の戦などで活躍し旗本に取り上げられますが、42歳で重成に家督を譲り出家。全国を行脚し修行に励んでいましたが、代官となった重成の要請で3年間天草にて政策顧問を務める。寺社復興の案は正三の勧めで「乱で荒んだ島民の心の安定」を願ったものだそうです。

・こちらは海軍の訓練中にたまたま富岡を訪れた勝海舟と、これまたたまたま天草を訪れて泊天草洋(あまくさのなだにはくす)で天草の美しさを詠んだ頼山陽(らいさんよう)の像もありました。勝海舟に至っては宿泊した鎮道寺(ちんどうじ)の御堂の柱に落書きしていった(しかも二度も)という珍エピソードが残っています。
泊天草洋(意訳)
海上に遠く見えるのは、雲だろうか、山だろうか、それとも呉の国だろうか、越の国だろうか。海と空とが接するあたりに、かすかに髪の毛一筋ほどの青いものがぼんやりと見える。
万里のかなたに広がるこの天草の洋に舟を泊めているが、夕もやが舟の窓のあたりにたなびいて、太陽はしだいに西の海に沈んで行く。
そして、一瞬、大魚の波間にはねる姿がちらりと見えた。空を見上げると、宵の明星が舟の正面に明るく輝いて、月よりも明るかった。

・二の丸から富岡湾を望む。画像中央に見える飛び出した半島が砂嘴(さし)と言って、砂や石が自然の力で堆積した地形になります。これが反対岸まで届くor届きそうになると砂州(さす)という呼び名になるそうです。

・出丸。

・本丸への階段。

・三の丸への階段かと思われます(三の丸は公園としては案内されていません)。



・一番上には高麗門(こうらいもん)が復元されており、その先には本丸があります。


・多聞櫓(たもんやぐら)を再現したらしい建物はビジターセンターとなっていて、天草の自然や地理、歴史などが学べる様になっています。ここで学芸員の方に天草にまつわる様々なお話を聞く事が出来ました。大変参考になりましたが、1時間近く話していたので次に乗るフェリーを2本遅らせる事になりましたw


・富岡城跡から今度は島鉄フェリーに乗る為、鬼池(おにいけ)港に向かいます。

・こちらの建物で運賃を支払います。ちょっとしたお土産とかもあったりしました。
www.shimatetsu.co.jp

・大人550円+126cc以上1,250円で合計1,800円。この辺りのフェリーは片道大体このくらいが相場ですね。

・私以外にも遠方から来られているライダーが一人いらっしゃいました。

・12時半出航です。

・島原の口之津(くちのつ)港までやはり30分の航海です。

・このフェリー、珍しく喫煙スペースが外に堂々とありました(テーブルの穴が灰皿です)。


・口之津港に到着しました。後ろから乗船、前から下船ってパターンが多かったので後進して着岸する様子がちょっと珍しく感じました。
島原上陸

・口之津港からは近くにある「原城(はらじょう)跡」へ向かいます。

・ナビ通りに原城跡まで行くと付近に駐車スペースは無い模様。駐車場の案内看板は出ていたのでそれに従って走っていくと原城温泉真砂の駐車場に到着しました。どうやらここから歩いて向かうみたいです。

・駐車場から少し歩いてきました。右奥側が大手口(おおてぐち)跡で正門にあたる場所で、左手が三ノ丸跡…なんですが、島原の乱の後に完膚なきまでに破壊し尽くされてしまっているので何も無い空き地が広がるのみ(理由は後述)。

・このあたりは二ノ丸跡なんですがやはり何も残っていませんね。原城は本丸のみ石垣を使用していて、残りの曲輪(くるわ。城の土台や囲いの事)は土造りであったので余計に何も残らなかったんでしょうね。

・工事をしていましたが看板を見るとこの辺りに何やら広場を造っている様でした。

・ようやく本丸付近に到着。メインの見所はここなので本当はこの辺りに駐車場があったら良かったんですが。

原城は天草から撤退してきた一揆軍が島原に撤退し、約3万7千人が籠城した廃城になります。その後も抵抗は続けられましたが、幕府軍の兵糧攻めと物量に遂に押し切られて敗北しました(ここで天草四郎も戦死)。
敗北した一揆軍は老人や女子供に至るまで一人残らず処刑され、その遺体は原城に埋められるという哀しい結末を迎えました。
その後、こういった一揆が起こった際に再び拠点として使われる事の無い様に幕府軍によって徹底的に破壊し尽くされてこの様な姿形になりました。
文字通り、島原の乱の最後の地となった訳です。

・後年、この地からは大量の遺骨が出土するのですが、一揆軍・幕府軍の区別を付けずに供養する為に建てられたほねかみ地蔵。

・僅かに石垣の土台が残っている場所もあります。


・本丸の二つ目の門があった辺りだそうですが、ここは文学資料には埋門(うずみもん)と記されているそうです。石垣の築石(つきいし。石垣を構成する石)を突き崩して引き摺り出し、また崩してを繰り返し、最後に土砂等で覆うという徹底ぶりだったそうです。手前側は築石が顔を見せていますが、奥の土の下にも石垣の残骸が埋まっている様です。

・少し離れた場所にも石垣の残骸が。

・ここが本丸門があった場所です。本来はここに櫓門(やぐらもん)が建てられていて、門を抜けた奥にある階段を登った先が城内だった様です。階段の踏み石は恐らく見えている一段目だけしか残っておらず(残りの足場は後世に設置された木材)、いかに徹底的に破壊したかが分かります。

・そしてここが本丸跡になります。実際にこの場所に建物は無く、向かって右奥側に天守相当の三層の櫓台が建っていたらしいです。


・その櫓台があったと思われる場所ですがやっぱり綺麗な更地です。

・墓石かと思われますが誰のものかは分かりません。

・大きな十字架のオブジェがありました。後年建てられたものでしょうが詳細は分かりません。

・天草四郎の像がありました。

・四郎の母親が建てたと思われる墓石が後年、民家の石垣から発見されてこの地に移されたそうです。

・キリシタンの彼に対して正しかったのかどうか分かりませんが墓前で手を合わせておきました。

・本丸への門の一つである池尻口門(いけじりくちもん)跡です。画像は石垣の根石(ねいし。基礎となる石)ですがここを残して殆ど崩されています。

・ここにも櫓門が建っていた様ですがそれの礎石(そせき)と思われる物が辛うじて確認出来る程度です。

・原城跡の見学を終え、再び歩いて駐車場まで帰ってきました。ここでアニメ版邪神ちゃんで南島原とコラボやってた事を思い出しました。
リンク

・思わぬ所で
聖地巡礼となりました(邪神ちゃん本編は
神保町ですが)。
いよいよ最西端へ
原城跡も見学を終えて時間は14時。本当は雲仙岳も寄ろうかと考えていたのですが流石に時間的に無理という事で今回はパス。
ここからは本日の最終目的地、日本本土最西端とされる佐世保の神崎鼻(こうざきはな)へ真っ直ぐ向かう事になりました。

・南島原から雲仙岳を横目に走り抜け…。

・神崎鼻を目指してひたすら走り続けました。距離にして約130km、3時間半程の行程となりました。

・18時頃に神崎鼻の駐車場に到着。何とか日の入りに間に合いました。

・神崎鼻には日本本土最西端のオブジェが設置されています。

・そこそこ人が来ていたのですがいなくなったタイミングを見計らって一枚。本土の一番西側で沈む夕日を見ているって事は、本土で一番遅く日の入りを見ているという事になる筈(謎理論)。

・帰りは海沿いを歩くルートを進みましたが海がとても綺麗でした。

・小さい蟹があちこち歩き回っていました。

・これで本日の予定終了。後は宿に向かうだけです。

・時間は既に19時前。辺りも一気に真っ暗になってしまいましたが、本日の宿である佐世保のホテルAZへ向かいます。

・40分くらいでホテルAZに到着しました。以前からずっと気になっていたホテルチェーンですが、本拠地の九州において初の利用となりました。

・朝食付きで6,380円という事で格安って程でも無いですが、まだまだ安い部類にはなるんでしょうか。部屋は如何にもって感じのビジホスタイルで特筆するものはありません。

・ホテルの真横にドラッグストアがあったので買い物に行ってみました。

・で、久しぶりにカップラーメンでも食べるかと購入してみたら、まさかのレジで箸が貰えず(コンビニのノリでてっきり貰えるものかと…)。この為に大量の箸を買うのもアホらしいのでマルチツールのナイフで無理やり食べました。以前もパスタでやった事があるんですが危ないのでマネしない様にしましょうw
youtu.be
・6日目の動画が完成しました。是非こちらもご覧下さい。
7日目に続く。
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